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米津玄師「ミラージュソング」歌詞の意味を考察!!ファン待望のツイキャス披露曲

今や日本の音楽業界の中心といっても過言ではないアーティストの米津玄師さん。
人の心に寄り添うような優しい一面もあれば人の醜さなどを秀逸に表現した楽曲など様々。

楽曲を発表するたびに米津玄師さんの繊細な世界観に共感したりで今でも中毒者は続出しています。
米津玄師さん自身が繊細な心の持ち主だからこそかける楽曲。

今回はそんな米津玄師さんの「ミラージュソング」の歌詞の意味についてお伝えしていきたいと思います。

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米津玄師「ミラージュソング」ってどんな曲??

「ミラージュソング」は2015年10月7日に発売された3枚目のオリジナルアルバム「Bremen」の12曲目に収録されている楽曲です。

兼ねてからツイキャスにて弾き語りで披露されていた楽曲の音源化でもあり、
ファンにとってはとても嬉しい限りです。

タイトルになっている「ミラージュ」には蜃気楼・逃げ水という意味があります。
蜃気楼とは風がない夏の暑い日に空気が歪んで見えるあれです。
砂漠なんかでも同じような現象がおきますね。

独特で唯一無二の世界観を繰り広げる米津玄師さんの楽曲ですが、
「ミラージュソング」はそこまで難しい言葉は使われていない印象。

曲調は明るいのにも関わらず内容はくらいイメージを受けました。
このタイトルが歌詞とどう関係してくるのかも気になるところですね。

米津玄師「ミラージュソング」の歌詞の意味を考察!!

それでは米津玄師さんの「ミラージュソング」の歌詞の意味について考えてみたのでお伝えしていきたいと思います。

いつだって僕は君の髪を撫でたいと思った
その声はいつか消えてしまうからさ
明日の世界がまた少し近づくたびに僕は
残された今日を感じ くしゃみをする

米津玄師さんの楽曲で多いのは登場人物が『僕』と『君』、
出会いと別れといった表と裏といった人間の側面を表現したものです。

ミラージュソングは男性目線で歌詞が綴られています。

歌詞全体をみてみると男女の恋愛のようで、
寄り添っていてもいつかは散ってしまうという不安と儚さを感じます。

君と一緒に居られる時間があとどれくらいあるのだろうか?
大切に思えば思うほど失った時の絶望に打ちひしがれてしまうことを主人公は知っています。

だからこそ一瞬一瞬を大事にしようとしているのです。

くしゃみは誰かが噂話をした時に起きるものとも言われています。
君も僕と同じような気持ちなのかもしれません。

照りだした太陽 逃げ水で濡れた道路を歩いた
不思議なくらいの静けさに塗れて
過ぎ去ってしまった日々は二度と戻らないと知った
あの日の記憶も 遠く触れないまま

逃げ水とは蜃気楼の一種です。
アスファルトの道路などで熱く風がない日に遠くに水があるように見える現象のことです。
砂漠でオアシスがあると思って近づくとただの砂地だったという現象みたいなものです。

ということは時期は夏の暑い風もなく静かな日ということがわかります。

蜃気楼を追っているとそこに何もないということと、
過ぎ去った日々とが重なって思えたのでしょう。

君と過ごした記憶は確実に自分のもののはずなのに、
蜃気楼のように触ることができない。

追ってもたどり着くことができない記憶に悲しさを感じます。

何を悲しむことがある? これほど明るい陽の射し込む場所で
何を疑うことがある? 隣にいつも君がいるのに

しかしなぜそんなに悲しむことがある?何を疑うことがある?
今、自分の隣には大切な人がいてこれほど幸せなことはないじゃないか。

自分自身への問いかけのようです。

本当に悲しいと思っていないのであれば、こんな感情にはならないです。
君がいなくなってしまうかもしれないという不安な気持ちになるより、幸せを感じよう。

幸せだからこそ不安に思う繊細さが伝わります。

生きていけば今 生きていくほど
さわれないものが増える
何も手に入れちゃいないのに
失くしていく気がするんだ
どうして

「生きていけば生きていくほど触れないものが増える」というのは、
自分ではどうしようもできないことがあるということを知っていくから。
時間がたてばたつほど思い出が遠退いていく。

「何も手に入れていないのに失くしていく」という気持ちになった方も多いのではないでしょうか。
本当に大切なものは形として手に入れることはできません。

はっきりとわかるものならいいのにどうしてと悩んでいる心情です。

いつだって僕は 君の髪の毛を撫でたいと思った
その声はいつか消えてしまうからさ
「明日の世界も同じように生きていられるのかな」
蜃気楼の中で昨日の僕が言う

前半は1番と同じ歌詞です。
過ぎ去った過去や思い出は蜃気楼のように触れないものと知った主人公。

今言っている言葉のようにも思えますが、「昨日の僕がいう」ということから矛盾があります。
これは1番の「逃げ水で濡れた道路」という実際には濡れていない道路が濡れているという言葉遊びと同じような感じです。

人間は明日死ぬかもしれないし、このあとすぐに事故にあって死んでしまうかもしれない。
明日のことを思っている今日と実際にきた明日では全然違うかもしれません。

いつ何が起きるのか分からないからこそ今を大事にしたいという思いなのでしょう。

何を怖がることがある? 奪いも与えもできない癖に
何を求めることがある? 隣にいつも君がいるのに

ここも1番同様に自分自身に問いかけているような場面です。

「奪いも与えもできない」というのは、どうしようもない力が働いているようにも思います。
生命の場合寿命を伸ばしたり縮めたりすることもできないような。

そんな自分ではどうしようもないことを怖がっていても仕方ないじゃないか。

君がいるだけで本当はいいはずなのに、
君に対してもっともっとと求めてしまっている自分がいます。

なんで君が側でいるだけでいいのにそれだけじゃ満足しないのだろうか。

近づけば今 近づくほど
知らない君が増える
何もいらないさ いらないのに
物足りない気がするんだ
どうして

同じ人はいません。
大切に思っているからこそもっと知りたいと思うものです。

しかし近づいていけばいいことばかりではなく悪い面も見えてきてしまいます。
先ほどの歌詞からあなたに対して求めてしまっている自分がいます。

何もいらないはずなのに、もっと求めてしまっている自分に対して「どうして」と、
主人公の心の葛藤が見えます。

どんだけ確かめてみたって
どんだけ呼びかけてみたって
いつだって君はそこにいて
微笑んでくれるのに

僕たちが生きるここは今
失望で満ちているだなんて
そんなこと言いたくはないんだ
それだけさ 本当さ

この部分は「アイネクライネ」の歌詞と似ていると思います。
米津玄師さんの心の中にあるものなのかもしれませんね。

人の命はいつかは無くなってしまうから心の底から幸せだと思うことができない。

「僕たちが生きるここは今失望で満ちている」というのが心の奥底にあり、
それが主人公の本当の気持ちなのです。

でもその気持ちを受け入れたくないという気持ちは本当ということから、
君への想いが強いものということもわかります。

生きていけば今 生きていくほど
愛おしい今も増える
何も手に入れちゃいないけど
失くせないものがあるんだ
ミラージュソング

蜃気楼のように触れず形として具体的にあるわけではないので、
手に入れていないように感じてしまいますが実際には見えていないだけで手にしているはずです。

失くしてはいけないものというのは君と過ごして時間や思い出、君と育む愛。

いつかはいなくなってしまう悲しみや恐れがあることはわかっているけれども、
それでも前を向き進んで生きようとする。

それがミラージュソングに込められた思いのように感じました。

米津玄師「ミラージュソング」歌詞の意味を考察!!ファン待望のツイキャス披露曲 まとめ

いかがだったでしょうか。

米津玄師さんの「ミラージュソング」の歌詞の意味について考えてみました。

今までツイキャスでしか発表されていなかった楽曲がこうして音源として聞くことができるようになったことはファンとしても嬉しい限りですよね。

ポジティブではありませんが、人間の繊細な部分をうまく表現しています。

学生の時、社会人になってから、親になってからなど、
その時その時で聞くタイミングによっても考え方が変わってくる楽曲だと思いました。

 

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