新生クソアイドルというアイドルらしからぬ意味をもつグループBiSH
その中でもソロ活動で目を惹くメンバーのアユニ・Dさん。
可愛らしい声と透明感あふれるルックスからは想像もつかないほど、
パンクな一面を持っている人物でもあります。
今回はアユニ・DさんのソロプロジェクトのPEDROより「感傷謳歌」の歌詞の意味などについてお伝えしていきたいと思います。
PEDRO「感傷謳歌」ってどんな曲??
「感傷謳歌」は2020年4月29日に発売されるPEDROの3枚目のアルバム「衝動人間倶楽部」のリード曲となっており、2020年2月21日よりyoutubeにてMVが先行公開されています。
バンドサウンドのストレートなロックチューンの楽曲がかっこいいですね。
タイトルになっている「感傷」とは『物に感じて心をいためること。』という意味があり、
「謳歌」とは『声をそろえてほめたたえること。転じて、自分の恵まれた境遇などを、他人にはばからず言動に表すこと。』という意味があります。
この言葉をかけ合わせると『心の傷を誇っていく』という意味合いになるのではないでしょうか。
インタビューにてアユニ・Dさんはアルバム「衝動人間倶楽部」の全曲のテーマが衝動といっていました。
このタイトルと歌詞の意味とがどう繋がってくるのでしょうか。
PEDRO「感傷謳歌」のMVが意味するものとは??
MVはアユニ・Dさんが現実世界のアユニ・D、脳内にいる左脳と右脳の1人3役を務めています。
脳内のアユニさんは気持ちを抑えている青色のLEFTのLが書かれている左脳、
感情の赴くままに行動するrightのRと書かれた右脳
MVを見た感じだと左脳が今まで自分の感情を抑え続けてきた感情を右脳がなんのしがらみもなく行動しているのを妬んでいるようにも見えます。
しかしどちらも自分の脳内にある感情で最終的にはお互いに協力しあっています。
脳内ではたくさんの人物がアユニ・Dさんのお面をつけて登場したりと、
ユニークな仕上がりになっています。
このMVの監督を勤めたのは山田健人(
アルバム「衝動人間倶楽部」の他のMVの監督も務めるようです。
PEDRO「感傷謳歌」の歌詞の意味はどんなの??
それではアユニ・DさんのソロプロジェクトPEDROの「感傷謳歌」の歌詞の意味を考えていきましょう!!
「ぎゅーっとつめてください」
内臓が飛び出るほど
詰め込まれた電車も
記憶が飛びそうな
振動を鼓膜で賑わせ
僕だけのダンスホール
1番Aメロ部分です。
「内臓が飛び出るほど」と少しグロテスクな歌詞ですが、
忙しい現代社会の電車に詰め込まれて息苦しい世の中を見事に表現している部分です。
大人になるといつの間にか子供の頃のように無邪気な気持ちというのは忘れていってしまいます。
学校や会社のルールに縛られいつの間にか自分のテリトリーというのを作ってしまい、
その中でしか生きられない。
そんな息苦しい世界から逃げ出すために、
イヤホンをして音楽で自分だけの好きな空間を作っているのでしょう。
自分の好きなものに囲まれているときは嫌なことも忘れることができますよね。
アユニ・Dさんが「衝動人間倶楽部」に収録されている歌詞を考えているときは、
ものすごく忙しい時期の中で制作したそうです。
その忙しい時期と重なっているのかもしれません。
いつかこの世界が終わること忘れていた
頭の中のモノを具現化して笑っていたいんだ
永久に生き続けることはできません。
人間もいつか死ぬし、自分が死んでしまったら世界との繋がりもなくなってしまいます。
ボーッと生きていても一生懸命に夢や目標に向かっていても同じ時間は過ぎ去っていきます。
それならば自分の中にあるやりたいことを現実にできるようにして、
未来に笑っていたいという前向きになっている歌詞です。
インタビューにて今までのアユニ・Dさんは「いままでは頑張っても意味ない」とか「どうせ死ぬなら何もやらなくていいや」という思考だったのが「どうせ死ぬんだったらやってやるか」という考えに変わってきたということをコメントしています。
夢に届くまで泣いて
出来ないって諦めないで
意味ない事なんてこの世界にはない
生きていればいつかきっと
良いことがあるらしいが
良いことは生きていないと起こらない
やってやろうじゃないか
1番サビ部分です。
この「夢に届くまで泣いて 出来ないって諦めないで〜」という部分も今までにない歌詞ですね。
「生きていればいいことがある」という言葉は慰めの言葉としても使われることが多いです。
しかしただ生きているだけじゃ良いことというのがくるのだろうか?
どうせだったらやるだけのことをやってやる!という意気込みを感じます。
ストレートな歌詞だからこそグッとくるものがあります。
日常に溶け込んでいる
溶け込みすぎている僕は
なんてちっぽけだろう
無能な鷹だから
爪を見せびらかしている
得意技はないのに
2番Aメロ部分です。
1番と同様に意味もなく生きている主人公は自分自身のことを理解しているよう。
「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があります。
これは才能や実力のある者は、軽々しくそれを見せつけるようなことはしないというたとえです。
しかし歌詞では反対に爪を見せびらかして、
ルールに縛られ溶け込みすぎている自分をどうにか大きく見せようとしています。
自分がそこまで才能や実力がある人間じゃないと知っているからでしょう。
でもどうにかしてこの現状から抜け出そうと必死にもがいている様子が思い浮かびます。
午前3時過ぎのセンチメンタル暴動
部屋を埋めていく野次は排水口に流せサヨナラ
苦しみや辛さをより感じてしまいやすい夜。
暗闇の中では自分自身のことを考えてしまいがちになりセンチメンタルになりやすいです。
現代ではSNSだったりとエゴサーチも簡単に出来ます。
ずっと見続けているとネガティブな感情になってしまいますが、
そんな感情は排水溝に流してさよならと辛い現実を受け入れ前向きに進もうという気持ちがあらわれています。
声が枯れるまで泣いて
何もわからなくても
無駄な事なんてこの世界にはない
僕の世界は僕が
全て正解だから
好き勝手にこの歌を叫び倒そう
やってやろうじゃないか
感情を押し殺して生きているといつか爆発してしまうもの。
現代社会ではそんな感情がない人もたくさんいますが、
自分が何をしていいのか分からなくたって感情の赴くままに進んでいこう!
失敗したってそれが経験となり夢や目標へと進むことができるんだから!
何も行動しないことが1番の不正解であり、
周りにどう思われるのか怖くても何かしらの行動をすることで道は開けるのです。
だから自分に正直に生きていこうよ。
そんなメッセージだと思います。
ごはん食べるのも燃えるゴミを出すのも
朝が来るように夢をみるのも必死にやっているんだ
ご飯を食べること、ゴミを出すこと、夜寝たら朝が来る、
当たり前の日常のように夢を見ることも当たり前に思えるよう必死にもがき進んでいく。
そしてラストサビへ続き「感傷謳歌」は幕を閉じます。
PEDRO(BiSH アユニDソロ)「感傷謳歌」歌詞の意味は??MVが面白い!!自分の中にある感情との向き合った楽曲!!まとめ
いかがだったでしょうか。
BiSHのメンバーでありソロプロジェクトのPEDROから「感傷謳歌」の歌詞の意味とMVについてお伝えしていきました。
アユニ・Dさんの表情豊かな場面が多く見られ、
今までのアユニ・Dさんから次のステップを感じられるような楽曲でした。
これからもBiSHにPEDROに大忙しになってくるであろうアユニ・Dさんの活動から目が離せませんね。
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