Cö shu Nie(コシュニエ)『Lamp』歌詞の意味は?『約束のネバーランド(約ネバ)』第1シーズン後半エンディング

コシュニエlamp 歌詞


シーケンスやボイスサンプリング、変拍子などのオリジナリティー溢れる音楽性で日本のみならず世界中にファンがいるスリーピースバンドCö shu Nie(コシュニエ)

結成は2011年からと意外と長いバンド歴を持ちますがなかなか日の目をみることなくメンバーチェンジを繰り返しながら下積み時代を送っていました。

そんな中2018年2月に石田スイさんの大人気漫画兼アニメ『東京喰種:re』の主題歌を担当することになりその存在を世の中に知らしめメジャーデビューを果たしました。

今回は人気アニメ『約束のネバーランド(約ネバ)』のエンディングテーマに起用された2019年03月13日に発売された『Lamp』の歌詞込められた意味についてお伝えしていきます!!

Cö shu Nie(コシュニエ)『Lamp』ってどんな曲??

2019年3月12日に先行でショートバージョンが公開されました。
その翌日に『絶体絶命』と共に両A面シングルとして発売された楽曲です。

『絶体絶命』が最初から激しくアグレッシブな曲で反対に『Lamp』は徐々に盛り上がっていくような楽曲となっています。

どちらもアニメ『約束のネバーランド』のエンディングテーマに起用されています。

メンバーの中村未来さんが淡くひかるランプを片手に暗闇の中を歩いているところからスタートします。

その後眩い光に包まれ手を伸ばして何かを掴み取ろうとする仕草や光の中で手を繋ぎ歩いていく姿、ラストは再び暗闇の中ランプがポツンとある姿が映し出されています。

ランプは周囲を照らす役割があります。光はよく希望などの意味でも使われたりしますので『約束のネバーランド』の絶望の中でも微かな光があるという意味が込められているのではないか?と思いました。

『約束のネバーランド』第1シーズン後半エンディングに起用

『約束のネバーランド』週刊少年ジャンプにて連載されていた漫画のアニメ化は2019年1月~3月にフジテレビ「ノイタミナ」にて第1シーズンが放送されました。

可愛らしいキャラとは正反対のダークでシリアスなストーリーが話題で注目を浴びていました。

物語を簡単に説明すると、鬼に食料として育てられた孤児たちが脱獄していき本当の自由を手に入れるというお話です。

アニメや漫画をみたことがある方はご存知と思いますがディストピアの設定に度肝を抜かれた方も多かったのではないでしょうか?

アニメでは1シーズンの中で前半と後半で曲が変更されています。
前半もCö shu Nie(コシュニエ)の『絶体絶命』がエンディングテーマ曲に起用されています。

そして同アニメを連続で『Lamp』も後半のエンディングテーマ曲に起用されています。

Cö shu Nie(コシュニエ)『Lamp』歌詞の意味は?約ネバの世界観にマッチ!!

コシュニエ絶体絶命 lamp

それではアニメ『約束のネバーランド(約ネバ)』の第1シーズン後期のエンディングテーマ曲に起用されたCö shu Nie(コシュニエ)の『Lamp』の歌詞の意味をお伝えしていきます。

今回もアニメ『約束のネバーランド(約ネバ)』の視点から考えてみました。

震える両手で
ひとつまた抱き上げて
重たくなった一歩の先に 希望をくれ

Quasi calm. もう失いたくない
Quasi love. 繋がってたい

しっとりと歌い上げる冒頭から激しく繋がっていく展開がまじエモいですよね。

主人公のエマたちが孤児院にいた失ってしまった仲間を抱えている様子が思い浮かびます。
いなくなってしまった仲間の分まで生きていくことの決意分の気持ちが増えたことで重たくなったのかもしれません。

Quasi calm.とは”擬似的な穏やかさ”、Quasi loveは”擬似的な愛”という意味がありどちらも本物に似ているけれども真実ではないことを指します。

まさしくエマ達孤児が与えられた環境ですね。
本物だと信じて疑わなかった現実が偽りだと知った時でもそれしかすがることができない彼らにとって偽りの愛や偽りの平和だったとしても大事な場所だったのかもしれません。

君が無駄だと切り捨てたものは
僕にとってかけがえがないんだ
悲しい顔で 黙ってないで
蹴り上げてやれ
滲んだ毒 掻き混ぜて 濁らすな

ここでいう君とは誰のことなのでしょうか?
僕というのがエマだとしたらノーマンやレイのことなのかもしれません。
ママや鬼とも取れますがそれだと『君』という呼び方がしっくりきません。

エマは誰1人犠牲を出さない子供全員救出作戦を願いますが、
現実的なレイは足手まといになる行動できない幼い子供達を犠牲にする方が確実に脱出できると提案します。

カイは自らが犠牲になってママたちに気づかれないように作戦を遂行していきますが、
それが自分の中で徐々に考え方が汚れていってしまい少しづつ毒となっていたのです。

そんな中カイは純粋に全員救出したいというエマの心に揺れ動かされます。

もちろんカイだって全員助けれるものなら助けたい。

そのことがわかっていながらも助けることが難しいことで顔を曇らせているのでしょう。
しかし悲しんでいても何も変わらない。エマは自分たちにできることをやろう!とカイに前を向くように後押しします。

情けないくらい 汚れて
まだ間に合うでしょ?

Quasi calm. もう甘えたくない
Quasi love. 進まなくちゃ

カイの気持ちは情けないくらい汚れていってしまった。
物語の後編になりますがノーマンも自分の使命に囚われてしまい汚れていってしまいます。

アニメではそこまで進んでいないのでここではカイのことなのだと読み解きました。

何も気づかなければ抱きしめてくれたり笑顔など無償の愛をくれるママたち。
でもその笑顔や愛情は子供達が出荷される時には偽りに変わります。

甘えてばかりいたら何も変わらない。
偽りの愛から真実の自由を勝ち取るために進もうとしているのです。

越えていけるさ
暖めてくれる 一緒だから
何度でも立ち上がる
ずっと守りたい
塗り替えろ この小さな世界を
選んだ道 照らしていて
こわいなら 大丈夫

ラストサビです。

越えていけるというのはこれからの脱獄をしていく上で待ち受けているであろう困難のこと。

エマをはじめとするノーマンやカイ、そして純粋な気持ちを持っている信頼できる子供達。
守りたいという気持ちがあるからこそ苦難や辛いことがあったとして何度だって立ち上がることができる。

たとえ可能性が絶望的だったとしても偽りの幸せからの広い世界へ抜け出すための真実の自由を勝ち取るために微かな希望を望んでいます。

またラストの歌詞の”こわいなら 大丈夫”という歌詞。
本来であれば”怖くても大丈夫”や”もう怖くない大丈夫”といったことが多いと思います。

現実の孤児院には親に捨てられた子供、家庭の事情でやむなくいる子供など心を閉ざしている子供が多いと勝手ながら思います。

きっとエマたちもそうだったのかもしれません。
今までの現実が幸せで無意識に感情を制御していたのかもしれません。

しかし『こわい』という感情を持つということは現実と向き合うことができたということ。
それは決意ができたということの現れでもあると思うのです。

Cö shu Nie(コシュニエ)『Lamp』歌詞の意味は?『約束のネバーランド(約ネバ)』第1シーズン後半エンディング まとめ

いかがだったでしょうか。

独創的な世界観で唯一無二の音楽性を貫くCö shu Nie(コシュニエ)
その中から今回はアニメ『約束のネバーランド』の第2弾エンディングテーマに起用された『Lamp』に込められた意味についてお伝えしていきました。

アニメの世界観とバッチリリンクしている曲でしたね。
ダークファンタジーの要素を崩さずCö shu Nie(コシュニエ)の美しく激しい楽曲が色付けていました。

第1弾エンディングテーマ曲『絶体絶命』についても書いていますので良かったらどうぞ。

コシュニエ絶体絶命

Cö shu Nie(コシュニエ)『絶体絶命』歌詞の意味がアニメ『約束のネバーランド』の世界観にマッチしすぎ!!

東京喰種:reのオープニング曲『asphyxia』についてはこちらをどうぞ。

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