ハチ(米津玄師)「結ンデ開イテ羅刹ト骸」歌詞の意味を考えてみたら怖すぎた!!




米津玄師さんといえば繊細な歌詞やメロディーが素敵で、
人間の感情を角度からみた表現はすごいです!!

ミュージシャン、シンガーソングライター、映像作家、イラストレーターなど
多彩な才能も発揮しているアーティストです。

今回は米津玄師さんのボカロP時代の作品の「結ンデ開イテ羅刹ト骸」の歌詞の意味についてお伝えしていきたいと思います。

米津玄師「結ンデ開イテ羅刹ト骸」ってどんな曲??

「結ンデ開イテ羅刹ト骸」は正式には米津玄師さんがボカロPとして活動してた時のハチ名義の楽曲で、ハチ名義としては4作品目となります。

ハチ氏の2ndアルバム『OFFICIAL ORANGE』に、「結んで開いて羅刹と骸」としてリテイクされ収録されており、『EXIT TUNES PRESENTS Vocalolegend feat. 初音ミク』にも収録されています。

タイトルからしてほとばしる闇感が凄まじいですよね!!
この楽曲のテーマは「違和感」と「無邪気」です。

内容は『身売りをする女性』というテーマが噂されてもいますね。

タイトルになっている「結んで開いて」は子供の遊びであり、
「羅刹」とは人を喰らう悪鬼のこと。
「骸」とは死体を指す言葉です。

このことから歌詞と照らし合わせてみると、
「羅刹」は他者から一方的に奪い取っていく者、
「骸」は他者から奪い取られる者、
ということになるのではないでしょうか。

米津玄師「結ンデ開イテ羅刹ト骸」のMVは闇が深すぎる!!

花札をモチーフにしたPVはハチ(米津玄師)自身がマウスで手描きしたものです。
みていただいたらわかると思いますが、狂気じみた雰囲気があり底知れぬ不安感が漂います。

現在はハチとして活動していない米津玄師さんですが、
ハチ名義でミリオン再生された楽曲の一つでもあり、自身初の殿堂入り作品でハチの代表作の一つです。

米津玄師「結ンデ開イテ羅刹ト骸」の歌詞の意味を考えてみた!!

米津玄師さん「結ンデ開イテ羅刹ト骸」の歌詞の意味を考えてみました。

今回は「身売りする女性・遊女説」を中心にお伝えしていきます。
(あくまでも噂されている一つの解釈なので米津玄師さんの真意というわけではありません。)

さあさあ今宵も無礼講
獄卒衆すら巻き込んで
宴の瀬にて成り下がるは
純真無垢故質の悪い
悪虐非道に御座います

この部分はボカロの初音ミクが歌っている部分ではなく、
狐のお面を被った人物が「結ンデ開イテ羅刹ト骸」のプロローグを語ります。

この世の無垢と非道を観衆に説きます。

片足無くした猫が笑う
「ソコ行ク御嬢サン遊ビマショ」
首輪に繋がる赤い紐は
片足の代わりになっちゃいない
や や や や 嫌 嫌 嫌

遊女説で考えていくと「片足無くした猫が笑う」というのは人身売買の仲介人のこと。
女性と遊びませんか?と誘っている様子です。

赤い紐とは借金のことだと思います。
片足を無くしたというのは地に足がついていないということなのか、そのままの足がないという意味なのか。

どちらにせよ仲介人は客引きで遊女と遊ばせて稼ごうとしますが思ったほど稼げません。

その後は女性の悲痛な叫びのように思います。

列成す卒塔婆(そとば)の群れが歌う
「ソコ行ク御嬢サン踊リマショ」
足元密かに咲いた花は
しかめっ面しては愚痴ってる

卒塔婆とはお墓でよくみる棒のようなものです。
生きているのか死んでいるのかわからない男たちが「ソコ行ク御嬢サン踊リマショ」と無感情に話しかける。

遊女として考えるのであれば、「足元密かに咲いた花」というのは自分よりも美しい女性に対して嫉妬し陰口などしかめっ面をして「愚痴」っている様子のように思います。

腹を見せた鯉幟
孕んだのは髑髏

鯉は餌を食べすぎると転覆することがあるようです。
それが腹を見せるという状態。

ここでいう鯉幟とは遊郭に遊びに来た男性のことで、
「腹を見せた鯉幟」とは裕福で太った男性が服を脱いだ、または本性を見せたということだと思います。

髑髏とは肉が剥がれ落ちた頭蓋骨のことです。
この歌の中では死人を表しています。

「孕んだのは髑髏」ということは、妊娠してしまったけれども堕ろされてしまい死んでしまった子供のことだと思います。

やい やい 遊びに行こうか
やい やい 笑えや笑え
らい らい むすんでひらいて
らい らい 羅刹と骸

タイトルにもなっている「むすんでひらいて」「羅刹と骸」という歌詞が登場します。

「結んで開いて」というのは男女の性行為のことを意味し、
羅刹とは女性を喰らう男性のことで骸は女性をさす。

先ほども説明しましたが羅刹とは人を喰らう悪鬼のこと、骸は死体のこと。
それから考えると羅刹は子供を作る男女のことで骸は堕ろされてしまう子供のことかもしれません。

一つ二つ三つで また開いて
五つ六つ七つで その手を上に
松の樹には首輪で 宙ぶらりんりん
皆皆皆で 結びましょ

一つ二つ三つ、五つ六つ七つは掛け声ですが四は「死」を連想させることから使われていません。

また開いては「股を開いて」という言葉遊びのようにも思え、
その手を上には下にいる女性が男性を抱きしめている様子のようにも思えます。

松の樹は遊郭の比喩で、借金を返せない仲介人は店に縛られていて宙ぶらりんになっているのでしょう。

下らぬ余興は手を叩き、座敷の囲炉裏に焼べ曝せ

無理強いをされたのであれば、見せしめに恐ろしい目に合わせてしまえ。
夜の遊びにはバックに強い力が働いていることが多いです。

それがよくも悪くも縛りをきつくします。

下賤な蟒蛇墓前で逝く
集り出す親族争いそい
「生前彼ト約束シタゾ」
嘯くも死人に口は無し
や や や や 嫌 嫌 嫌

「下賤な蟒蛇(うわばみ)」とは卑しい親のことをさし、親が死んだ後醜い遺産相続の争いが繰り広げられるという展開。

今のようにデータ化されたしっかりとした契約書などない時代。
生前に遺産を受け取るように口約束したものの、「死人に口無し」それを証明する手立てはありません。

娘は父親の遺産を全て奪われてしまいます。

かって嬉しい花いちもんめ
次々と売られる可愛子ちゃん
最後に残るは下品な付子
誰にも知られずに泣いている

遺産の中には子供も含まれています。

童謡『はないちもんめ』は子供が花を買えるくらいの金額(一匁)で売られる子供の様子を歌にしているという都市伝説があります。

このことから可愛い子供を安い値段で買って喜んでいる買い手、
ブスな子供は見向きもされず買われることもなく、お金がない子供は生きていくことすらできません。

三つ二つ一つで 息を殺して
七つ八つ十で また結んで
高殿さえも耐え兼ね 火傷を背負い
猫は開けた襖を閉めて行く

三つ二つ一つ、七つ八つ十は掛け声で四は「死」を、九は「苦しむ」という意味があります。
また四と九がない、子宮がないという考察もあります。

売られてしまった女性は遊女になり息を殺しながら生かさず殺さずの過酷な状況。

子供ができ妊娠している状態で痛みを発しているという風に捉えました。

仲介人は男性を案内した後襖を締めていくということと、
この場所から逃さないという表現にも思えます。

結局皆様他人事(結局皆様他人事)
結局皆様他人事(結局皆様他人事)
結局皆様他人事(結局皆様他人事)
他人の不幸は 知らんぷり!

この世には不幸な人たちがたくさんいる。
それでもそんな不幸な人は自分とは関係ない。
遊女として身を売った子供、借金まみれの仲介人、遺産のために娘を売った家族、
結局自分のことしか考えておらず残ってしまったブスのことなんか考えていないのです。

やい やい 子作りしようか
やい やい 世迷えや世迷え
らい らい イロハニ惚れ惚れ
らい らい 羅刹と骸
一つ二つ三つで また開いて
五つ六つ七つで その手を上に
鳥が泣いてしまわぬ内にはらへら
一つ二つ三つで また明日

かなりストレートな「子作りをしようか」という歌詞が登場します。
世迷え=夜這い、イロハニ惚れ惚れ=色香に惚れ惚れ、と官能的な歌詞です。

「鳥が泣いてしまわぬ内に」というのは子供が生まれてしまう前に、
「腹へら」は腹減るということで子供を堕ろすという意味のようにも思えます。

ハチ(米津玄師)「結ンデ開イテ羅刹ト骸」歌詞の意味を考えてみたら怖すぎた!!まとめ

いかがだったでしょうか。

米津玄師さんのボカロ時代の楽曲「結ンデ開イテ羅刹ト骸」の歌詞について色々とお伝えしていきました。

今の時代でもたくさんの問題があります。
それでも結局は我関せず他人事として見る人がほとんどです。

そんなことがいけないということに「違和感」を感じながらも、
結局は自分のことを1番に考えてしまうという「無邪気」の狂気について遊女をテーマに書いた楽曲のように感じました。

闇が深いですね。



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