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米津玄師「海と山椒魚」歌詞の意味を考察!!小説をモチーフとした感動の歌詞の意味とは!?

米津玄師yankee

米津玄師さんといえば「Lemon」で全国的に知名度が上がり、
アーティストとして彗星の如く現れ今では日本を代表するアーティストとなりました。

数々の名曲を生み出している米津玄師さんですが、
シングルカットもされていないMVも発表されていない隠れた名曲も数々あります。

というか全曲いいですよねw

今回は米津玄師さんの「海と山椒魚」の歌詞の意味を考察していきたいと思います。

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米津玄師「海と山椒魚」ってどんな曲??

「海と山椒魚」は2014年4月23日に発売された米津玄師さんのセカンドアルバム「YANKEE」に収録されています。

米津玄師さん曰く「YANKEE」はアルバムのテーマを『呪い』としており、
どうしようもない状況からの救いのような歌詞が多く見られます。

タイトルになっている「海」はみなさんご存知の海ですが、
生命の源でもある母なる海とも言われています。

「山椒魚」は井伏鱒二の小説をモチーフに作曲したということをインタビューにて答えています。

”海と山椒魚”って曲を作ってる時、井伏鱒二の『山椒魚』をずっと読んでて。あの小説って、一度出版された後に、本人が最後を書き換えてるんですよ。書き換える前は救いのないラストだったんですけど、書き換えた後はちょっと救いのある最後になってて。で、当時はそれがすごい批判されて、『あの終わり方がすごく美しかったのに、なんで変えたんだ』って問い詰める人がいっぱいいたらしいんですけど、でも本人は『あれでは救いがない。どうやっても山椒魚が前に進めないじゃないか』って言ったんです。それが個人的にグッときて。やっぱりちゃんと物語を作れば、そこで生まれたキャラクターにも救いがあってほしいと思う。それと同じなのかなって

この小説の主人公は山椒魚です。
自分の体が大きくなりすぎてしまい住処の岩屋から出られなくなってしまい、自暴自棄になっていた時に岩屋に飛び込んできたカエルを巻き込んでしまいます。

最初は罵り合っていた両者ですが、次第にいがみ合いも収まり和解をします。
しかしカエルは飢えと乾きで瀕死の状態になってしまっていました。

悲しい結末を迎えてしまったカエルが海へ帰っていったということがタイトルに込められているのかもしれません。

MVはありませんが楽曲の雰囲気とあっている動画があったのでよかったら見てください。

 

米津玄師「海と山椒魚」の歌詞の意味を考えてみる

少し古い言葉が使われていて難しいのですが、
「海と山椒魚」の歌詞の意味を考えてみましたのでお伝えしていきます。

みなまで言わないでくれ
草葉の露を数えて
伸びゆく陰を背負って
あなたを偲び歩いた

「草葉の陰から見守っている」という言葉もあることから「墓の下、あの世」のこと。
「偲び歩いた」という言葉は「過ぎ去った物事や遠く離れている人・所などを懐かしい気持ちで思い出す。懐しむ。」という意味です。

このことからあなたはすでに亡くなっていることがわかります。

露は雨上がりにできた雫のことなのか主人公が流している涙のことなのか。
主人公の心に悲しみを感じます。

二人で植えた向日葵は
とうに枯れ果ててしまった
照り落ちる陽の下で
一人夏を見渡した

「2人で植えた向日葵」という歌詞から2人が親密な関係であったことが伺えます。
そして「とうに枯れ果ててしまった」ことから長い年月が立ったこともわかります。

向日葵は元気なイメージがありますが、あなたは元気で明るい人柄だったのかもしれません。
その向日葵が枯れていることから妙に物悲しさを感じますね。

主人公は夏の落ちる陽の下で孤独に苛まれています。

今なお浮かぶその思い出は
何処かで落として消えるのか

今でも鮮明に思い出すことができるあなたとの思い出。
いつか忘れることができのでしょうか。

あなたがいなくなってしまったことを心のどこかでまだ処理しきれていない様子です。

あなたの抱える憂が
その身に浸る苦痛が
雨にしな垂れては
流れ落ちますように
真午の海に浮かんだ
漁り火と似た炎に
安らかであれやと
祈りを送りながら

あなたが健康ではなかったことがサビの冒頭でわかります。

精神的にも身体的にも苦しんでいたあなた。
少しでもその苦痛が楽になるように祈ることしかできなかったのでしょう。

情景として「真午」は真昼、「漁り火」は夜間の漁で使われる手法ですので、太陽の光が海に反射して炎のように照らしていたのでしょう。

この時にあなたのことを思いを漁り火に見て鎮魂の祈りをしています。

みなまで言わないでくれ
俺がそうであるように
あなたが俺を忘れるなら
どれほど淋しいだろう

周りから忘れるようにと励まされているのでしょうか。

悲しみから早く元気になってほしいと言われているのかもしれませんが、
主人公にとっては大きなお世話と感じているようです。

前に進むことは大事なのかもしれませんが、お互いが忘れてしまうことは切ないですね。

もし大切な人が亡くなったとしてそのことを忘れてしまうことがどんなに悲しいことだろうか。
あなたもきっと同じ思いでいるだろう。と主人公は思っています。

岩屋の陰に潜み
あなたの痛みも知らず
嵐に怯む俺は
のろまな山椒魚だ

「海と山椒魚」のモチーフになっているのは小説「山椒魚」です。

この小説の主人公は山椒魚で岩屋を住処にしていました。
自らを小説に出てくる山椒魚と喩えています。

とても近く大切な存在であったのにも関わらず痛みを見て見ぬ振りをしてしまっていました。

小説の中では迷い込んだカエルを山椒魚の傲慢さで死なせてしまいます。
「嵐に怯む」という歌詞から主人公はあなたが苦しんでいることを知っていたのにも関わらず、
何もできなかった自分を悔いてるのでしょう。

零れありぬこの声が
掠れ立ちぬあの歌が
風にたゆたうなら
あなたへと届いてくれ
さよならも言えぬまま
一つ報せも残さずに
去り退いたあなたに
祈りを送りながら

あなたは最後の別れのも出来ぬままこの世を去ってしまった。

「天国でも幸せでいて欲しい」
そんな主人公からあなたへの想いが届いて欲しいというレクイエムのようにも聞こえます。

夏の日差しが照りつける広大な海へ向かって主人公は祈りを送ります。

青く澄んでは日照りの中
遠く遠くに燈が灯る
それがなんだかあなたみたいで
心あるまま縷々語る

「燈」は「漁火と似た炎」と同じで「「周囲を明るく照らすもの」や「あたりを明るくするための火」のことだと思います。

この部分では1番の歌詞とは違い炎にあなたを見出し、
悲しみを受け入れているような感じがします。
今なお浮かぶこの思い出は
どこにも落とせはしないだろう
1番では「落として消えるのか」と疑問形でしたが、
「どこにも落とせはしないだろう」と結論が出ています。
悲しみを背負う覚悟が出来たようです。
そしてラストサビを繰り返し「海と山椒魚」は幕を閉じます。

米津玄師「海と山椒魚」歌詞の意味を考察!!小説をモチーフとした感動の歌詞の意味とは!?まとめ

いかがだったでしょうか。

米津玄師さんの隠れた名曲「海と山椒魚」の歌詞の意味について考察していきました。

昔ながらの言葉が使われているのは小説「山椒魚」をモチーフとしていたからなんですね。

人は誰しもが1人では生きていくことは出来ません。
もしあなたにとって大事な人がいなくなってしまった時でも忘れることなく、
いつまでも大切な思い出として心に刻んでいくことが大事だということを伝えてくれる楽曲だと思いました。

 

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