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米津玄師「飛燕」歌詞の意味は??ナウシカがモデル?読み方は?

老若男女問わず人気があり、10代から20代の若者を中心に絶大なる支持率を誇るアーティスト・米津玄師さん。

これだけ人気があるのにも関わらずいまだに謎の部分が多くミステリアスなアーティストです。
米津玄師さんの楽曲は繊細な世界を表現している楽曲が多いように感じます。

今回は米津玄師さんの「飛燕」の歌詞の意味などについてお伝えしていきたいと思います。

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米津玄師「飛燕」ってどんな曲??読み方は??

「飛燕」は2017年11月1日に発売された米津玄師さんの通算4枚目のアルバム「BOOTLEG」の1曲目に収録されています。

アルバム「BOOTLEG」は「海賊版」という意味があります。

このアルバム1曲目に収録されている「飛燕」とは読んで字のごとく空を飛んでいるツバメのことを意味しています。

ツバメは冬を越すために南国へ向かい春がくるとまた日本へ戻ってきます。
そのため春の季語としても使われます。

読み方は「ひえん」です。

爽やかでエネルギッシュな楽曲で鳥が空を飛んでいる情景が思い浮かびますよね。

ちなみにこのアルバムに収録されている「春雷」というタイトルも春の季語です。

同じ春の季語として使われている両曲ですが、
世界観は全然違うので比較しても面白いかもしれませんね。

「飛燕」はジブリのナウシカに影響を受けている?

「飛燕」は宮崎駿さんの作品の「風の谷のナウシカ」に登場する主人公・ナウシカをモチーフに、
米津玄師さん自身を重ねて書かれた楽曲だとインタビューにて答えていました。

これは自分のことを書きました。自分が音楽を作って生きていくうえで「こうありたい」と思うことを詰め込んで抽出したら、ただこういう曲になった感じです。曲のイメージのもとになったのは「風の谷のナウシカ」ですね。「風の谷のナウシカ」のマンガ版を読みながら書いたんです。マンガ版の「ナウシカ」は子供の頃からものすごく好きで、めちゃくちゃ影響を受けて育ってきたし、ナウシカという人間に対しても魅力を感じていて。彼女は慈愛に満ちあふれていて、優しさや母性も持っている反面、怒りに我を忘れて人を傷付けたり殺したりする、そういう混沌とした狂気的な部分も併せ持っている。その両面性に彼女自身が振り回されながら、それでもよりよい未来、美しいと思う未来に向けて邁進していく。そういう姿が本当に美しいなと思っていて。「自分もこういうふうに生きたい」とずっと思ってきたんですよね。だから、この曲は自分のことを歌っているつもりだけど、けれどそれは同時にナウシカのことを歌っている曲でもある。そんな感じです。

ナウシカは宮崎駿さんの代表作の一つでもあるのですが、
唯一漫画が原作である作品でもあります。

映画よりも漫画の方がより世界観が深いの気になる方はご覧ください。

米津玄師「飛燕」の歌詞の意味を考えてみる!!

それでは米津玄師さんの「飛燕」の歌詞についてどのような意味があるのかを考えてみましたのでお伝えしていきたいと思います。

翼さえあればと
灰を前に嘆いていた
鳥のように飛んでいく
あの雲に憧れて

翼は文字通り鳥を表しています。

灰は「LOOSER」や「シンデレラグレイ」「灰色と青」など、
米津玄師さんの楽曲中でよく登場しますよね。

この場面では希望がなくなってしまったという解釈でいいと思います。

そして雲に憧れを感じています。

ということで冒頭は、飛ぶことは自分が前に進み出す力のことで、
希望を失ってしまったことに飛び出す力がない自分の非力さに嘆いているのでしょう。

慰めも追いつかない
一人きり空の果て
傷に傷を重ねて
まだ誰かが泣いている

何か辛いことがあったのでしょう。
孤独になってしまった主人公にはどんな慰めの言葉も届くことはありません。

ナウシカの世界観と合わせると人間のせいで世界が傷つき汚れてしまった腐海にいる樹々や虫たちの叫び声のようにも感じます。

おそらく主人公と同じような気持ちになっている誰かがいることに気づいているのでしょう。

夜の底に朝の淵にこそ響く歌があると
呼ぶ声が聞こえたらそれが羽になる
ずっと風が吹いていた
あの頃から変わらぬまま
君のためならば何処へでも行こう
空を駆けて

夜の底は2度と明けることはないと思わせるような絶望、
朝の淵はうっすらと浮かび上がる明け方のような希望のことだと思いました。

そんな状況だからこそ心に響く歌があります。
その歌に導かれたなら飛び立てるきっかけとなる羽を手に入れることができるでしょう。

あの頃というのは灰になる前のことのように思います。
一度は地に落ちてしまったのですが再び空へ向かうことを決意します。

これらをまとめると、

絶望と思える闇の底であっても希望がかすかにしか感じられないとしても、
わずかに希望があるのであればまだ希望はある。
まだ元に戻る可能性があるのであれば再び希望をもつことができる。
ということだと思いました。

ナウシカの世界では腐海が当たり前になっていて、生活するにはマスクを装着していないと瘴気によって病になってしまいます。

そんな世界が絶望の底、森と虫などの世界の秩序と共存することはほぼ不可能と人間たちは思っていたのですがナウシカだけは違いました。

もしそんな世界からの叫び声を聞き取ることが出来たのであればまだ救いはある。
一途で純粋な想いをもつナウシカはメーベに乗って空を駆け抜けどこまでもいくのでしょう。

美しさを追い求め
友さえも罵れば

這い回る修羅の道
代わりに何を得ただろう

猛り立つ声には
切なさが隠れている

誰がその背中を
撫でてやろうとしただろう

自分の信念を貫くために仲間でさえ敵に思えることもあります。
そこに待っているのは誰にも理解されないという孤独。

そこには想像を絶する苦難が待ち受けているはずです。
そうまでして得たものに主人公は実感をしていない様子。

罵声を浴びせられている声に主人公はどこか切なさを感じます。
怒りの中にある苦しみに気づいてあげる人はいるのだろうか。

ナウシカも世界の秩序を守ろうと人間の醜い部分を知っていながらも、
どちらも共存できる世界を願っていました。

流離うまま 嵐の中
まだ胸に夢を灯し
渦を巻いて飛ぶ鳥の
姿を倣えばいい

過酷な状況の中でも主人公は希望を失ってはいません。

「渦を巻いて飛ぶ鳥」という歌詞から何度でもぶつかり合いながらもお互いが理解しあえると、
自分が身を呈して訴え続ければいつかは誰しもがわかってくれる。
そんな主人公の想いが伝わります。

ずっと 羽ばたいていた
未来へ向かう 旅路の中
道の正しさは風に託して
ただ進んでいけ

進むべき道はまだはっきりとしていません。

それでも世の中の流れに身を任せつつも、
自分が信じた道がどんなに険しかろうときっとそこには美しい未来が待っている。

主人公はがむしゃらに前を向き続けます。

夢を見ていたんだ風に煽られて
導いておくれあの空の果てへ

前へ進むことを決めた主人公ですが、その道は決して楽な道ではありません。

ただがむしゃらに突き進んでいた主人公ですが、
「煽られて」「導いておくれ」という言葉から1人では達成することが出来ないという不安を感じているようです。

しかし主人公には絶対に諦めきれない希望である美しい未来「あの空の果て」へ向かっています。

不安・恐怖に苛まれながらも自分のもつ譲れない気持ちに背中押され主人公は空を飛び続けます。

如何しようも無い大きな力の声を聴きながら進んでいく、
ナウシカの人間と世界の調和の世界を目指すという希望のことを歌詞に表現しているように感じます。

米津玄師「飛燕」歌詞の意味は??ナウシカがモデル?読み方は?まとめ

いかがだったでしょうか。

米津玄師さんの「飛燕」の歌詞の意味について考えていきました。
ナウシカがモデルということでナウシカの世界がしっかり出ている楽曲でした。

風の谷のナウシカはファンタジーですが現代にも通ずるものはあると思います。

こういった歌詞が書ける米津玄師さんはさすがですね。
これからの楽曲発表も楽しみで仕方ありません!!

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