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米津玄師「ポッピンアパシー」歌詞の意味を説明!!「MAD HEAD LOVE」と対になってる?

米津玄師さんといえば「Lemon」で全国的に認知度が上がりましたが、
他の楽曲も個性的で中毒性があります。

今回紹介するのは「ポッピンアパシー」という楽曲です。
タイトルからしても何を意味するのかわかりません。

「ポッピンアパシー」の歌詞の解釈とMVについてお伝えしていきたいと思います。

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米津玄師「ポッピンアパシー」ってどんな曲??

「ポッピンアパシー」は2013年10月23日にユニバーサルシグマから「MAD HEAD LOVE」と両A面として米津玄師さんのメジャー2枚目のシングルで発売されました。

「MAD HEAD LOVE」が米津玄師さんの“人と殴りあいながら血みどろになっても一緒にいたい”という思い出作曲され、「ポッピンアパシー」は鬱屈している今までの自分であるとして作曲されました。

この2曲は表裏一体であり自分の中の感情を光と闇が対になっています。

「ポッピンアパシー」の意味は??

タイトルにもなっている「ポッピンアパシー」とはどういう意味があるのでしょうか?

聞きなれない言葉ですが「ポッピン」と「アパシー」という言葉を繋げた造語だと思います。

「ポッピン」はダンスのジャンルでもありますが、ここでの意味はpopの現在分詞形である「popping」の別表記でありJ-POPなどの『大衆的な』という意味が適切ではないでしょうか?

続いて「アパシー」は『無関心・無感情』という意味があります。

この二つの言葉をかけ合わせると『大衆的なことに興味がない』という意味がタイトルになると考えました。

こういう気持ちに一度はなったことがある方も多いのではないでしょうか?

「MAD HEAD LOVE/ポッピンアパシー」のジャケットイラスト・歌詞カード・盤面まで全て自分でデザインしたそうです。

こういうところがこだわりを感じますよね。

ジャケットの表になっているのが『マッドくん』、裏が『ポッピンくん』と名付けられています。

米津玄師「ポッピンアパシー」MVはどんなの??

こちらが「ポッピンアパシー」のMVです。

「MAD HEAD LOVE」と同様に少し不気味な雰囲気を感じます。

「MAD HEAD LOVE」で使用された創作物を「ポッピンアパシー」で作成しているということもあり、二つのMVは繋がっており表裏一体となっています。

まさしく米津玄師さんの内に秘めている実験的な創作意欲が伝わるMVですね。

米津玄師「ポッピンアパシー」歌詞の意味を説明

悲観的な曲と語る米津玄師さんの「ポッピンアパシー」の歌詞にはどのような意味があるのでしょうか?

歌詞の説明をしていきたいと思います。

簡単なことすらもう覚えてない
今どうしようもないほど間違いでいっぱい
頭の中ペンキ溢してしまったのさ
明確な意志もなかったなら
今感情もなにもが信用にならん
ここがどこかさえわからないままでいる

ぱっと見なにやら難しいように見えます。

Aメロの言いたいことをまとめてみると、

『自暴自棄になって何もかもがいやになってしまっている状態』

本来はしたいことがあるはずなのになにを信じていいのかわからなくなってしまい、
自分がなにをしたかったのか?本当にこれでいいのか?というネガティブ思考になっていることがわかります。

教えてよねえ 言えないまま 飲み込んだ言葉の行方をさあ
それはいつか血に流れては 体に溶け込むのだろうか

自分が我慢して吐き出せなかった言葉がどこに行ってしまうのか?
それは自分の中に溜め込んでしまい、いつかは忘れることができるのだろうか?

そんな自分の行動を悔いている様子が浮かびます。

何かあればパワハラだセクハラだモラハラだと、
言いたいことも言えない世の中で、もがき苦しんでいるのでしょう。

ずっと目を塞いでいた
ずっと馬鹿馬鹿しいことばっかりやっきになって今
やっと気がついたんだ
やっぱ何処にもこうにも正解なんていないようだ

嫌なことから目を背け、自分が正しいと思ったことでも、
どうせ自分なんか、、、と我慢してきたことや、周りに嫌われたくないと合わせてきたこと、
そんなことをしてきても正しかったとは言えない感情になっています。

自分の意思に反して行動をしてきたことに、
とても自分自身を納得させるような答えはみつからかったのでしょう。

単純なことすらもうわからない
今ぼんやり燻る澱の中で
頭が痛い鮮やかな色に塗れて
どうだっていいのさそんなこと
今望んでいたものが何かも知らずに
ただただペンキ零していくだけだ

燻るとは、うっすらと煙が上がること
澱とは、よどみ・液体の底に沈殿した不純物

このことから「今ぼんやり燻る澱の中で」というのは、
「心の底にある少しの本心」ということだと思います。

現代の色鮮やかな世界に嫌気がさし、
自分の言葉や行動も思う通りにすることが批判されるのであれば、
そんな世界が目に入らないように心に蓋をしていくということなのだと解釈しました。

教えてよねえ 選ばぬまま 過ぎ去った道のその行く末を
そこでいつか出会えた筈の 誰かの生きていた証を

もしも自分自身の思うままに感情を解き放ち進むことができた未来があったのなら、
その未来はどんな結果になっていたのだろう?

今の状況に満足しておらず過去を不満に思い憂いているのがわかります。

そんな目を塞いでいて
どうもフラフラピンボケボンクラやっては大迷惑
こんな悲しいの中で
勝手やっても泣いても全然だ もうどうしようか

どんなに思っても過去を変えることはできません。

今の現状に不満を思っていて何かしないといけないということをわかっていても、
どんなに声をあげても泣いても変わらない世の中に幻滅してどうしていいかわからないのですね。

目を開け そうだ少なくとも
自分の塗った色くらいはわかるだろうが

ここで少しポジティブな雰囲気が出てきます。

どんなに目の前のことが嫌でも目を背け続けていけばそこに待っているのが絶望だけ。

目の前の現状と向きあうこと、自分自身と向き合うこと、
それだけは忘れてはいけないというメッセージ性があるように感じます。

ずっと目を塞いでいた
ずっと馬鹿馬鹿しいことばっかりやっきになって今
やっと気がついたんだ
やっぱ何処にもこうにも正解なんていないようだそれがただ一つの正解だ

なにが正解でなにが間違いかなんて答えはないのです。

人それぞれの考え方があり、自分がやってきたことも正解でも不正解でもないということを知ったのです。

周囲を気にして自分がしたくないこともしてきた、自分の感情を押し殺して生活してきた、
そんなことをしてもなにも意味はないのです。

自分の人生は全て思い通りにはいかず、
理不尽なこともあるのですが、
その中でも自分の色だけは忘れずにしないといけない。

それが「ポッピンアパシー」の歌詞に込められた思いだと思いました。

米津玄師「ポッピンアパシー」歌詞の意味を説明!!「MAD HEAD LOVE」と対になってる?まとめ

いかがだったでしょうか??

米津玄師さんの「ポッピンアパシー」の歌詞の意味や「MAD HEAD LOVE」との関係についてお伝えしていきました。

人生山あり谷あり、いいこともあれば嫌なこともある。
「ポッピンアパシー」の歌詞のように、同じような感情を持っている人もたくさんいると思います。

それでも自分の中野譲れない部分まで無くしてしまったら、
本当になんのために生きているのかわからなくなります。

自分のケツを叩くのは自分しかいないということをわからせてくれる曲でした。

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