米津玄師さんは老若男女に愛される日本を代表するアーティストの1人です。
過去にはボカロプロデューサーとして活動していた時期もあり、
独特の世界観の楽曲だったり歌詞だったりを世に生み出しています。
今回は米津玄師さんがボカロPではなく自身の名前で活動しだしてからの初めてのアルバム「diorama」に収録されている「vivi」の歌詞の意味やMVについてお伝えしていきたいと思います。
米津玄師「vivi」ってどんな曲??
「vivi」は2012年5月16日に発売された米津玄師さん名義となっては初めてのアルバム「diorama」の7曲目に収録されている楽曲です。
まだこの頃はメジャーデビューしておらず、
インディーズとして活動していたにも関わらずオリコン週間アルバムランキングでは6位を獲得するヒットとなりました。
米津玄師さん自身もこの「vivi」という楽曲がアルバムの中で重要なポジションとなっています。
当時の米津玄師さんの考え方の軸であった『人と人はどうやっても分かり合えない』『ディスコミュニケーション』をもっとも表現したのが「vivi」なんです。
「vivi」についてのインタビュー内容です。
「僕としても“vivi”は凄い大切というか、凄い重要な曲だなと思ってます。この曲は、それこそ『人と人とはどうやってもわかり合えない』っていうこと、そういう部分を超解釈って言ったらおかしいけど、広げていって広げていってできたものだと思っていて。どうしようもないってわかってるんだけど、でも願いはあって……そういう曲ですね
自分の内面世界に一番近いのが、この曲だと思います。結局どうやってもわかりあえない。わかりあえたと思っても、すれ違いって必ずあるんですよ。そんな悲しさを描いているのが「vivi」ですね。それでいいんだと思ってます……
米津玄師「vivi」のMVのあらすじは??
MVの中では卵型のキャラクターが『僕』で、少女が『ビビ』が歌詞から読み取ることができます。
MVのストーリーの内容はイマイチどういったものかつかめませんが、
なんだか胸が締め付けられるような切なくも悲しい思いになりました。
お互いに好き同士なのにお互いに思いをうまく伝えることができず、
離れ離れになってしまうというというストーリーなのだと思います。
「人と人とは決してわかりあうことができない」というディスコミュニケーションをテーマに描かれているのが「vivi」のMVだと思います。
米津玄師「vivi」の歌詞の意味を考察
タイトルの「vivi」はイタリア語で「生きる」という命を表す言葉です。
そのタイトルと歌詞がどう絡んでくるのかを踏まえて考えていきました。
悲しくて飲み込んだ言葉
ずっと後についてきた
苛立って投げ出した言葉
きっともう帰ることはない
悲しくて自分の中に閉じ込めてしまった言葉は、
自分の心の奥底でふとした時に思い出してしまいなかなか消えることはありません。
反対に苛立ちで感情的になってしまって思ってもいない言葉、
それは一度出してしまったら自分の心の中と相手の心の中でずっとなくなることはありません。
悲しみと怒りの言葉はどちらにせよ言ったにせよ言わないにせよ、
あまりいいとは言えない状況になってしまいコミュニケーションの難しさを伝えている部分だと思います。
言葉にすると嘘くさくなって
形にするとあやふやになって
丁度のものは1つもなくて
不甲斐ないや
ここでは自分の中の思っている感情や気持ちのことを言っているのだと思います。
本心で思っていても悪意があっても「言葉ではなんとでも言える」。
言葉だけでは薄っぺらく、逆に行動で示そうとしても言葉が伴っていないと本心は伝わらない。
行動や言葉に正解はなく、言葉でも行動でもちょうどいいものはなく、
うまく表現できない自分に対して不甲斐ないと嘆いている様子です。
愛してるよ、ビビ
明日になればバイバイしなくちゃ
いけない僕だ
灰になりそうな
まどろむ街を
あなたと共に置いていくのさ
主人公がビビを愛してることが歌詞からわかります。
愛しているのに明日には別れなければいけない理由とはなんなのでしょうか。
米津玄師さんの歌詞で「愛してる」という直接的な言葉が出てくるのは珍しいですね。
「灰になりそうなまどろむ街」という歌詞からは明るい印象はなく、
この街には命がないようにも思います。
またこのフレーズは自分の心模様を映し出している風にも捉えることができます。
あなたへと渡す手紙のため
色々と思い出した
どれだって美しいけれども
1つも書くことなどないんだ
言葉でもなく形でもないと思った主人公は、その両方の意図が汲み取れる手紙という手段で連絡を取ろうとします。
手紙は言葉のようにその場の雰囲気で出る短絡的なものではなく、
色々と考えながら書くことができます。
直接いうと薄っぺらい言葉も手紙にすると伝わるかもしれない。
あなたとの思い出は美しく輝いていますが、
いざ手紙に書こうとするとどんな言葉にしていいのかわからない、
言葉では表すことができないのかもしれません。
でもどうして、 言葉にしたくなって
鉛みたいな嘘に変えてまで
行方のない鳥になってまで
汚してしまうのか
主人公はあなたに伝えたいことを言葉ではなく手紙で伝えようとしたのですが、
言葉で伝えたくなってしまってしまいます。
綺麗な思い出を汚してまで嘘をついてしまった主人公は、
あなたのもとを去ろうとしているのかもしれません。
主人公には綺麗な思い出を汚してしまった罪悪感が残ります。
愛してるよ、ビビ
明日になれば
今日の僕らは死んでしまうさ
こんな話など 忘れておくれ
言いたいことは一つもないさ
愛してるという言葉も明日になれば何も残らない。
前に手紙に1つも書くことがないというのは、
今日までの関係が終わってしまいビビと離れ離れになってしまうからということ。
手紙だと届くまでに時間がかかってしまうから、
言葉にして届けたくなったのかもしれません。
しかし今ではそのことも叶わなくなってしまった。
だから悲しい気持ちになりたくないから「言いたいことは何もないさ」と強がっているということが1番の歌詞からも想像できます。
溶け出した琥珀の色
落ちていく気球と飛ぶカリブー
足のないブロンズと
踊りを踊った閑古鳥忙しなく鳴るニュース
「街から子供が消えていく」
泣いてるようにも歌を歌う
魚が静かに僕を見る
琥珀はドイツ語で『燃える石』と言われています。
それが溶けるということは燃えているということ。
本来空に上がるはずの気球が地上へ落ち、
地上にいるはずのカリブー(トナカイ)は飛び、
足がなくなって立てなくなったブロンズ像と、
閑古鳥が踊るというのは何もそこになくなったとてつもなく大きな災害が起きたことを意味しているのだと思います。
ニュースでは街から将来を担う子供達の姿がいなくなったことから、
街に大きな変化が起きたことは間違いありません。
「魚が静かに僕を見る」というのはアルバム「diorama」の表紙になっている魚のことではないでしょうか?
この魚はナマズのように見え、「地中の巨大ナマズが怒れば地面が揺れる」、古くからナマズと地震との関係には因縁ようなものがあり地震を予知すると言われています。
どうにもならない心でも
あなたと歩いてきたんだ
「どうしてこんなことになってしまったんだ、、、」
嘆きながらもどうしようもない心情の主人公はこれまでビビと一緒に過ごしてきた日々を思い出す主人公。
言葉を吐いて
体に触れて
それでも何も言えない僕だ
愛してるよ、ビビ
愛してるよ、ビビ
さよならだけが僕らの愛だ
MVの情景そのままの様子で切ない歌詞です。
抱きしめて言葉を出しても何も伝わらない。
もし主人公がこの退廃した街に残るのであればビビもきっと残ってしまうだろうということを思い、
それを望んでいない主人公
愛しているという言葉を繰り返し別れをすることが2人にとって最善の選択だと。
米津玄師「vivi」歌詞は何を意味している??MVのキャラにも注目!!まとめ
いかがだったでしょうか??
米津玄師さんの「vivi」の歌詞の意味と楽曲についてお伝えしていきました。
一説ではこの楽曲は東日本大震災のことを歌っているとも言われています。
天災は人間にはどうすることもできず無力さを痛感させられます。
大切な人のことを想うが故に苦渋の選択をした主人公なのでしょう。
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